九州動物学院
 

私の故郷は鹿児島県です。知覧のほど近く、川辺というところに小学校1年生まで住んでいました。小2の頃、熊本に。白川小学校から青山中学、そして九州学院から神奈川県の麻布大学へと進学しました。

 鹿児島から熊本に越してきた頃は、当然まだ鹿児島弁が抜けなくて、非常に苦労した記憶があります。しばらく経つと、今度は熊本弁が混ざり妙な言葉になって。しかし、それも程なく解消されて、元来おしゃべりで話し好きであった私は、小・中学校を通じて大した人気者でした。

 ところが、九学から麻布大学に入学した私は、愕然としたのです。熊本を発つ前、幼なじみから「東京モンに染まるなよ」というエールをもらいましたが、そ のエールまでもジョークで切り返し、さっそうと神奈川入りしたのです。ところが、着いた途端、大ショックを受けました。なんと言葉が全く通じない。熊本弁 が全く理解されないのです。逆に、学友たちが会話しているりゅうちょうな標準語が全く聞き取れない。そうです。「標準語の壁」にぶち当たってしまったので す。

 おしゃべりで人気者だった私は、あっという間に閉鎖的な人間へと転換しました。人との対話がこんなにも怖いなんて・・初めての経験でした。当初、勉強だ けはと熱心に通っていましたが、次第に外界との交流までも疎ましく思うようになり、やがては大学からも足が遠のいていきました。こうした理由で、6年で卒 業できる大学に、私は10年も在学する破目になったのです。その間私は、アルバイトに精を出していました。食堂のお運びから店員、果てはトラックの運転手 など、さまざまな職を経験しました。

 こうした紆余曲折の大学生活で私が得たものは、言葉の壁による大きな挫折感と、それを乗り越えた後につちかった、共通項を持つ仲間たちでした。
 言葉が通じなくて、いったんはひどく孤独感を募らせましたが、でも気づいたのです。言葉など通じなくても「想いは通じる」と。麻布大学の学友は、みな獣 医師を志して集まった、いわば同志です。大学とはそうした場所だと思いました。生きてきた道のりはさまざまでも、こうして一つ志で学ぶ6年間は、共通項を 持って学ぶ貴重な時間なのです。この与えられた環境を味方に、コミュニケーション力を駆使して、「共通項を持つ学友」から、「共通項を持つ仲間」に転換し ていけばいい。何よりも大切なのは、こうしてつちかった縦横のつながりであると、確信を得たのです。

 皆さんも大なり小なり、こうした経験がおありでしょう。学校は目指す未来への道を歩いていくための栄養を蓄える場所であり、共通項を持った仲間たちを見 つける場所なのです。今、体験している全てが将来の自分に生かされる。今はわからなくても、将来そのことに気づく日がきっときます。友人との関わり、周囲 との関係、環境・・全てが将来の糧になると信じて、努力する気持ちを忘れないで下さい。