九州動物学院
 

ある日、動物病院に一本の電話が入りました。事故に遭った野良猫が死にそうだから迎えに来てほしいというのです。もちろんすぐに現場に向かいました。
通報のあった現場について驚きました。相当ひどい状態です。でももっと驚いたのは、事故後1週間も経っていたということで、その間、飲まず食わずでこの場所に横たわっていたということです。
事故に遭ったのは1週間前の朝だったそうです。事故の現場を通勤前に目撃した通報者は「後続車にひかれてはいけない」と思い、ぐったりとした猫を道路の端へ。移動はしたものの気持ち悪い。そのまま仕事へ向かったそうです。
ところが夕方帰宅してみると、まだ猫は息をしていたのです。夕方から降り出した雨にぬれていたので、軒下までは移動したのですが、やはり気持ち悪い。「朝 になればもうだめだろう」とそのまま放置したのです。翌朝、それでも様子を見に行くと、なんと生きているではありませんか。そのまま1週間が経過したとい うことでした。

病院に戻って診察をしたら猫は非常に危険な状態でした。脊椎は骨折していて、下半身麻痺は免れないでしょう。そして何しろ、放置されていた時間が長かった ので、ひどく衰弱していました。またもっと大変なことに、この猫は妊娠していたのです。もう2週間もすれば出産という時期に差し掛かっていました。
幾重ものリスクを抱えたこの猫を、私たちはどうすればいいのか真剣に考え、とりあえずは、通報者に現状を連絡することにしました。一通り話を聞いたその方 は、「飼主じゃないので責任はとれない」と、予想通りの回答でした。仮に助けたとしても、一生涯不自由な体になるのです。ましてや飼主もいない。「安楽死 やむなし」と判断せざるを得ない状況は十分過ぎるほどそろっていたのです。

ところがその翌日のことでした。母猫は全胎児を流産したのです。この危機的な状態で、これ以上の妊娠の継続、ましてや数週間後に控えた出産など彼女にとっては大きすぎるリスクでしたので、「仔猫たちが母猫を救ったのではないか」と思うほどの出来事でした。

仔猫を流産し、なおも瀕死の状態で横たわる猫を見て思いました。これほどのリスクを抱え、生死の境にいながらも、生きているのです。事故に遭い、長時間置 き去りにされながらも、必死に生きようとした結果、「気持ち悪い」と目を背けていた通報者の気持ちを動かしたのです。全頭流産も母体にとってはこの上ない 好条件でした。仔猫までもがこの母猫を助けようとしたのかもしれない。命をつなぐチャンスを持っている猫だと思いました。必死で生きようとするこの猫の姿 と力強い目が、安楽死と決めていた私の心をも動かしたのです。

その後の治療の甲斐あって、この猫は一命を取り留めました。半身不随にはなったものの、奇跡的な回復でした。そして今、通報者の管理下で再び命をつないで います。桁外れの生命力が、通報者の気持ちを動かし、獣医師の治療方針をも変え、命につながる全ての条件をプラスに転じたのです。神様の加護を受けたまさ に奇跡の命です。