九州動物学院
 

私もたまにメディアの取材に応じることがありますが、取材に来られた記者の方々は病院の医療機器を見るや、「人間と変わらないんですね」と驚かれます。 CTにしろMRIにしろ、動物病院で使用している医療機器は、当然のことながら人医療のものと変わりません。「獣医療用機器」などないのです。
医薬品もそうですね。動物病院で処方する薬の半分以上が人薬です。飼主さんの中には、「ペットの薬」が間違って口にでも入ろうものなら、「ペットの薬飲んじゃった!」と大騒ぎする方がいます。認識の差と言えばそれまででしょうが、私たちからすれば実に不思議な感覚です。

動物病院と人間の病院で唯一つ違うとすれば、「患者さんが動物である」という1点だけです。それもその患者には必ずと言っていいほど、家族である飼主さんが介在します。
人医療であっても、患者に家族が同伴することは決して珍しくありません。ただし、患者が人間の場合は、当事者とのコミュニケーションが可能なのですが、動 物の場合は違います。コミュニケーションの相手は間違いなく当事者(動物)ではなく、飼主さんで、その親密なる第三者の認識レベルによって、その後の治療 水準が大きく変わってしまうのです。

例えば、緑内障の犬がいたとしましょうか。一般的な症状としては、眼圧が上がり、次第に眼球が肥大してくるのが特徴です。そのため瞼が閉じられなくなって 痛いほど乾燥しますので、投薬で眼圧を調整したり、定期的な点眼といった治療を生涯続けなければなりません。大変苦痛を伴う治療ですが、完治するわけでは ありません。
さらに症状が進めば、次なる治療は「眼摘」です。苦痛の原因である眼球を摘出するのです。ところがほとんどの飼主さんは、「眼を取るなんて!」と抵抗します。「何とか眼だけは残してほしい」と哀願されることもしばしばです。
獣医学的には、そこまで症状が進行すれば「眼球」は不要のものなのです。眼があるがゆえに毎日苦痛を感じているのは、他ならぬペットなのですが、飼主さん は「眼がなくなるなんて・・」と、とてもその現実を受け入れる気持ちにはなれないのです。「快適な生活のために必要な処置である」と納得して頂かなければ その先には進めませんので、こうした感情レベルのやり取りは避けては通れない道筋なのです。

ところが、現実を受け入れた飼主さんのその後はどうなると思いますか?ペットの「Q・O・L(生活の質)」の向上に、「もっと早く決断してあげたらよかった」とおっしゃる方がほとんどなのです。
これが獣医療だからこその難しさです。「かわいそう」という思い込みから、飼主さんはその全権限を行使して適切な治療を拒みます。時に命の危険さえも招き かねない「かわいそう神話」からの脱却は、命を護る私たちにとって至上命題。高度な知識や技術も、飼主さんの決断あってこそなのです。本来避けて通れるは ずの苦痛から解放してあげることこそが「本当に愛するということ」になるのだと伝えることも、また私たち獣医療関係者の使命であると、しっかり認識して頂 きたいと思います。