九州動物学院
 

この年齢になって気がつけば、お葬式に参列する機会が多くなりました。若い頃は当然、家族や身内の通夜・葬儀だけになりますので、今とは比較にならないほ ど経験は多くありませんでしたので、これは社会人としての一つの証なのかも知れません。社会に出れば、自然とお付き合いの幅や自身のテリトリーは広くなり ます。そうなればそのつながりから、冠婚葬祭にかかわる機会は当然増えてきます。皆さんは礼服をお持ちですか?まだ持っていない人がいたら、「社会人の準 備」の一つに加えておかれることをお勧めします。

先日も知人の葬儀に参列してきました。参列者は非常に多く、故人の人柄が偲ばれましたが、ふと考えたのです。故人を悼み、こうして集まった参列者たちは、 故人やその親族とは当然縁があっても、参列者同士は総てが顔見知りというわけではないのです。「当たり前じゃないか」と思うかも知れませんが、その当たり 前のことについて、深く考えてみてほしいのです。

私と故人は仕事関係でつながったご縁です。とても親しくしていたのですが、それでもこのご縁はせいぜいここ十数年のことです。参列者に見知った顔がいない のは、これまたしごく当然のことだと改めて思いました。ではお隣で悲しみに暮れている方は、いったいどのくらいの時間を故人とお過ごしになったのだろ う・・。弔辞を読まれたあの方は、故人とどんなに親しい間柄だったのだろうか。こう考えてみたら、どんなに深いお付き合いがあろうとも、一番近しい家族や 親族であったとしても、故人の一生をずっと見届けた方は一人もいないのです。その方の人生の、ほんのひと時にご一緒させて頂いただけの私も、奥様として、 または子どもとして傍らにおられたご家族であっても、故人の人生の総てを知ることはできないのだと、この時改めて思ったのです。

ところが、動物たちは違います。愛犬(猫)の一生を、私たち人間は見届けることができるのです。生まれてから天国に召されるまでの約15年間の生涯に寄り 添い、最期の瞬間までを見届けることが私たち人間にはできる。こんな当然のことが、実はとてもすごいことなんだということに、私は改めて気付きました。同 時にその権利こそが、「動物を飼う」ということの真の責任でもあるのだと深く感じたのです。

動物病院には、毎日多くのペットと飼主さんがやってきます。以前もお話しましたが、飼主さんをみればペットがわかりますし、ペットを診察していれば、飼主さんの人となりも容易に想像できます。これを「ミラー効果」と言います。
家族同様のペットたちと、私たちは多くの時間を共有しています。その時間が、飼主の「あり方」をペットたちに見せ、ペットたちは飼主さんから学んだこと を、「新たな習性」に変えるのです。「?」と思った方は、ペットをよく観察してみて下さい。その行動・習性に、何となく思い当たる節があるはずです。
こんな風にペットの生涯を見届ける私たちは、多くのことをペットたちから学ぶことができます。ペット飼っている人とそうでない人は、人生観が違うと言って も過言でないくらい、ペットたちは大きな影響力を持って私たちの傍らに存在しているのです。「ペットの人生=私たちの人生」です。ペットに素晴らしい生涯 を送らせてあげてこそ、共にある私たちの人生も豊かなものになると理解して下さい。